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第3話 復讐への序章

作者: 秋宮千砂
last update 公開日: 2026-05-25 21:28:34

 桐生水琴は自分のベッドのカーテンをそっと閉めた。

 隣のベッドからは、すでに穏やかな寝息が聞こえてくる。

 成田颯馬——引き締まった筋肉質な体格で、笑うと爽やかになるその顔が、今はカーテン一枚隔てただけで眠っている。  

 水琴は目を閉じず、カーテンの裏側をじっと見つめていた。部屋の明かりはすでに落ち、ただ小さなナイトライトだけが淡く透けて見えている。

(……ようやく、始まったな)

 六年前の記憶が、静かに蘇る。

 水琴の兄・桐生実嗣は、当時二十一歳だった。水琴と同じく子役から俳優業を続けていた。

 水琴がまだ十五歳の頃、兄は炎プロダクションの社長・緋崎炎と恋人関係になった。

 炎は中性的で妖艶な美貌の持ち主で、年下の男を好むと公言してはばからなかった。

 兄は炎に夢中になり、すべてを捧げた。  

 しかし炎は兄を捨てて、他の男に走った。

 兄は心を病んだ。  

 そして芸能界を引退した後も、病は深まる一方だった。

 ある日突然、兄は失踪した。今も連絡は取れない。家族は必死に探しているが、手がかりすらない。

 水琴はあの時、誓った。  

 炎を許さない。復讐してやる。

 なんとしてでもこのオーディションに受かって炎のそばに近づき、弱みを握ってやる。近づいて、信頼させてから、あの男のしたことを世間に暴露し、裏切ってやるのだ。あいつを芸能界にいられなくしてやる。

 炎が目をかけている練習生・成田颯馬と親しくなれば、炎に関する情報を聞き出せるはずだ。それが最も確実な復讐の手段になると、水琴は考えた。

 到着初日、トイレで颯馬にBL営業を持ちかけたのも、その計画の一環だった。

(完璧や。炎に近づくための道具として、颯馬くんは最適やわ)

 水琴は小さく息を吐き、唇の端を上げた。  

 しかし、隣から聞こえる穏やかな寝息を聞いていると、胸の奥にほんのわずかな罪悪感が生まれた。

(……予想外に、まっすぐな目やったな、あの子)

 水琴は自分の指先を軽く握りしめ、目を閉じた。  

 まだ始まったばかりだ。復讐のためには、感情など、必要ない。

 翌朝、水琴は一番先に目を覚ました。

 カーテンの隙間から、隣のベッドをそっと覗く。颯馬はまだ眠っていた。筋肉の盛り上がった肩と、短い黒髪がタオルケットからはみ出ている。あどけなさの残る穏やかな寝顔は、なんだか可愛らしかった。

(……情報を聞き出すには、もっと親しくならなあかんなぁ)

 水琴は自分の唇に指先を当て、薄く微笑んだ。  

 そら、彼方、日和が次々に起き出し、部屋が賑やかになる。水琴はいつもの柔らかい笑顔を作り、明るく挨拶した。

「みんなおはよう。今日からレッスン開始やね」

 颯馬が目をこすりながら起き上がると、水琴は自然にベッドの端に座り、肩を軽く寄せた。小声で囁く。

「昨日の営業、ええ感じやったで。今日もよろしゅうに、颯馬くん」

 そう言いながら、颯馬の手の甲を指先で一瞬だけ撫でた。颯馬がわずかに体を強張らせるのがわかった。水琴は内心で満足した。

 朝食のダイニングでは、イッセイがまた水琴の隣に座ろうと近づいてきた。

「みーくん、隣いい?」

 水琴は表面上、愛想よく微笑んだ。

「ええよ、イッセイ」

 しかし内心では舌打ちしたかった。  

 イッセイは中学時代に共演した幼なじみで、一時的にセフレ関係にもなった相手だった。だが今はただの過去。邪魔でしかない。

 水琴は颯馬の隣に滑り込み、カメラを意識して自然に体を寄せた。

 視聴者向けの甘い距離感を保ちながら、颯馬の横顔を観察する。

 午前九時から、スタジオでのレッスンが始まった。

 日替わりで講師がやってきて、歌とダンスのレッスンを行う。今日はダンスだった。

 水琴は俳優経験で培った表現力と計算されたキレのある動きで周囲の目を引いた。

 だが他のメンバーもそれぞれが実力派揃いだった。バレエ経験者にヒップホップ、パルクールに体操と個性的な経歴を持つ者たちだが、全員運動神経が良く飲み込みも早い。

 強敵ばかりだな……と水琴は内心で焦った。

 休憩中、水琴は颯馬の隣に座り、ペットボトルを差し出した。

「颯馬くんのダンスのキレ、ほんまにかっこええわ。俺とユニット組めたら最高やね」

 カメラに向けた笑顔で囁きながら、颯馬の反応を窺う。  

「……ありがとう。水琴のダンスも魅力的だと思うよ」

 颯馬はそう言いながら、自然な笑顔を水琴に向ける。

 その顔を見た瞬間、不覚にも水琴の胸がキュンと鳴った。

 その後も、颯馬はミスしたメンバーを励ましたり、そらの質問に丁寧に答えたりと、仲間思いの一面を見せていた。

 水琴は胸の奥で小さく動揺した。

(……ただの道具やと思ってたのに、なんでこんなに目が離れへんねん)

 午後になると、スタジオの壁に備え付けられた大きなモニター画面に、プロデューサー炎ほむらの顔が映し出された。

東京の事務所からのビデオ通話だ。

「諸君にはこれから、7人のユニット2組に分かれてもらう。そのユニットで毎日午後のこの時間に課題曲を練習してくれ。振り付けも歌のパート割りもコーラスも、全部自分たちで考えるように。30日間の合宿が終わった後、東京の事務所で課題曲のパフォーマンスをしてもらう。そこまでがこのオーディションの最終選考内容だ。視聴者投票はその後に行う。選ばれるのは7人だが、ユニットに関係なく個人に投票してもらうから、同じユニットのメンバーが全員合格するとは限らない」

 その言葉に、皆がざわつく。

「そんな……ユニットごとに選考するんゃなくて個人なのか」

「同じユニットのメンバーでもライバル同士ってこと?」

「せっかく同じチームで仲良くなっても一緒に合格できないの?」

 人懐っこいそらが、泣きそうな顔をしている。

 戸惑いを隠せないメンバーも多い中、ユニット編成の話し合いが始まった。  

 七人×二組。水琴はうまく発言を誘導し、颯馬と同じユニットに入れるよう自然に仕向けた。  

 ユニットが決まった後、水琴は颯馬と少し二人きりになる隙を作った。廊下の隅で、小声で囁く。

「これで俺ら、もっと一緒にいられるやん。……嬉しいわ」

 意味深に微笑むと、颯馬がわずかに目を逸らした。その反応が、水琴の胸を妙にざわつかせた。

 夕方から夜にかけて、リビングでのフリータイム。  

 水琴はカメラの前でさらにBL営業を進めた。大きなL字型ソファーで颯馬の肩に寄りかかり、耳元で甘く囁く。

「颯馬くん、今日も頑張ってたなぁ。俺、颯馬くんのこと……本気で応援してるで」

 指先を軽く絡める。颯馬の体温が伝わってくる。

 水琴は計算通りの笑顔を浮かべながらも、心の奥で小さな波が立つのを感じていた。

 夜、1号室に戻った。  

 ベッドに入る準備をしながら、水琴はカーテンを閉め、静かに息を吐いた。  

 今日一日の颯馬のまっすぐな眼差しが、頭から離れない。

(炎に近づくため、情報を集めるためだけやと思ってた。なのに……この胸のざわつき、何なんやろ。まさか、俺……)

 水琴は自分の胸に手を当て、目を閉じた。  

まだ、計画は始まったばかりだ。  

 しかし、隣のベッドから聞こえる穏やかな寝息が、なんだか温かく感じられた。

 その時、枕元のスマホが震えた。

 メッセージアプリの通知が1件。イッセイからだ。

『みーくん、今からちょっと出てこれる? 話があるんだけど』

 水琴は小さくため息を吐いて、返信を打ち込む。

『話って何?』

 その瞬間。

 隣のベッドから、颯馬の低い声が聞こえた。

「水琴? ……まだ起きてるのか?」

 水琴の指が止まる。

「あー、うん」

「誰と連絡してんの?」

「誰とって……あ、もしかして気になっちゃう感じ?」

 水琴がからかうような声で尋ねると、颯馬の声が明らかにうろたえる。

「なっ……何言ってんだ! そんなんじゃねーよ!」

 するとカーテンの向こうから遠慮がちな日和の声がする。

「あのさ……悪いんだけど、もう少し静かにしてくれないかな?」

「あ、ごめんごめん!」

 颯馬は慌ててすぐに謝った。

「颯馬くん、また明日話そ」

「ああ、うん。わかった。明日な」

「ほな、おやすみ、颯馬くん」

「おう、おやすみ」

 颯馬の声を聞いて、水琴はふいに思い出す。

 昔、まだ幼かった頃。兄と同じ部屋で暮らしていた時。

 毎晩、夜になりベッドに入ってから、兄と「おやすみ」と言い合っていた。

 だけど、その後もついついおしゃべりを続けてしまって、なかなか寝ないことも多かった。

 大好きだった兄。

 兄を騙し、裏切り、絶望させた炎のことは、何があっても絶対に許さない。

(俺の目的が復讐のためやって、もし颯馬くんが知ったら……どんな顔するんやろな)

 水琴は、颯馬のベッドと自分のベッドを仕切るカーテンを、じっと見つめ続けた。

 ——そのすこし前。

 東京の炎ほむらプロダクション事務所。

 社長室のデスクの前。椅子に腰掛けて脚を組みながら、緋崎炎は無言で配信映像を眺めていた。

 大きなモニター画面には、合宿所のソファーで肩を寄せ合う颯馬と水琴が映っている。

 炎はワイングラスを揺らしながら、小さく笑った。

「……へえ」

 男にしては綺麗に整えられた爪の先が、画面の中の颯馬に触れるみたいにモニターをなぞる。

「颯馬。君、いつからそういう子がタイプになったのかな?」

 ニヤリ。形の良い唇の口角が上がる。

「もしかして、俺への当てつけだったりして?」

 フフッと、またその口元から笑いが漏れる。

「懲りないねぇ、君も。恋愛なんて、本気になってもろくなことないのに。今度はのめり込みすぎないといいけんだけど、ね」

 画面の中で、生配信の映像は流れ続ける。24時間、止まることなく。

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