Masuk桐生水琴は自分のベッドのカーテンをそっと閉めた。
隣のベッドからは、すでに穏やかな寝息が聞こえてくる。
成田颯馬——引き締まった筋肉質な体格で、笑うと爽やかになるその顔が、今はカーテン一枚隔てただけで眠っている。
水琴は目を閉じず、カーテンの裏側をじっと見つめていた。部屋の明かりはすでに落ち、ただ小さなナイトライトだけが淡く透けて見えている。
(……ようやく、始まったな)
六年前の記憶が、静かに蘇る。
水琴の兄・桐生実嗣は、当時二十一歳だった。水琴と同じく子役から俳優業を続けていた。
水琴がまだ十五歳の頃、兄は炎プロダクションの社長・緋崎炎と恋人関係になった。
炎は中性的で妖艶な美貌の持ち主で、年下の男を好むと公言してはばからなかった。
兄は炎に夢中になり、すべてを捧げた。
しかし炎は兄を捨てて、他の男に走った。
兄は心を病んだ。
そして芸能界を引退した後も、病は深まる一方だった。
ある日突然、兄は失踪した。今も連絡は取れない。家族は必死に探しているが、手がかりすらない。
水琴はあの時、誓った。
炎を許さない。復讐してやる。
なんとしてでもこのオーディションに受かって炎のそばに近づき、弱みを握ってやる。近づいて、信頼させてから、あの男のしたことを世間に暴露し、裏切ってやるのだ。あいつを芸能界にいられなくしてやる。
炎が目をかけている練習生・成田颯馬と親しくなれば、炎に関する情報を聞き出せるはずだ。それが最も確実な復讐の手段になると、水琴は考えた。
到着初日、トイレで颯馬にBL営業を持ちかけたのも、その計画の一環だった。
(完璧や。炎に近づくための道具として、颯馬くんは最適やわ)
水琴は小さく息を吐き、唇の端を上げた。
しかし、隣から聞こえる穏やかな寝息を聞いていると、胸の奥にほんのわずかな罪悪感が生まれた。
(……予想外に、まっすぐな目やったな、あの子)
水琴は自分の指先を軽く握りしめ、目を閉じた。
まだ始まったばかりだ。復讐のためには、感情など、必要ない。
翌朝、水琴は一番先に目を覚ました。
カーテンの隙間から、隣のベッドをそっと覗く。颯馬はまだ眠っていた。筋肉の盛り上がった肩と、短い黒髪がタオルケットからはみ出ている。あどけなさの残る穏やかな寝顔は、なんだか可愛らしかった。
(……情報を聞き出すには、もっと親しくならなあかんなぁ)
水琴は自分の唇に指先を当て、薄く微笑んだ。
そら、彼方、日和が次々に起き出し、部屋が賑やかになる。水琴はいつもの柔らかい笑顔を作り、明るく挨拶した。
「みんなおはよう。今日からレッスン開始やね」
颯馬が目をこすりながら起き上がると、水琴は自然にベッドの端に座り、肩を軽く寄せた。小声で囁く。
「昨日の営業、ええ感じやったで。今日もよろしゅうに、颯馬くん」
そう言いながら、颯馬の手の甲を指先で一瞬だけ撫でた。颯馬がわずかに体を強張らせるのがわかった。水琴は内心で満足した。
朝食のダイニングでは、イッセイがまた水琴の隣に座ろうと近づいてきた。
「みーくん、隣いい?」
水琴は表面上、愛想よく微笑んだ。
「ええよ、イッセイ」
しかし内心では舌打ちしたかった。
イッセイは中学時代に共演した幼なじみで、一時的にセフレ関係にもなった相手だった。だが今はただの過去。邪魔でしかない。
水琴は颯馬の隣に滑り込み、カメラを意識して自然に体を寄せた。
視聴者向けの甘い距離感を保ちながら、颯馬の横顔を観察する。
午前九時から、スタジオでのレッスンが始まった。
日替わりで講師がやってきて、歌とダンスのレッスンを行う。今日はダンスだった。
水琴は俳優経験で培った表現力と計算されたキレのある動きで周囲の目を引いた。
だが他のメンバーもそれぞれが実力派揃いだった。バレエ経験者にヒップホップ、パルクールに体操と個性的な経歴を持つ者たちだが、全員運動神経が良く飲み込みも早い。
強敵ばかりだな……と水琴は内心で焦った。
休憩中、水琴は颯馬の隣に座り、ペットボトルを差し出した。
「颯馬くんのダンスのキレ、ほんまにかっこええわ。俺とユニット組めたら最高やね」
カメラに向けた笑顔で囁きながら、颯馬の反応を窺う。
「……ありがとう。水琴のダンスも魅力的だと思うよ」
颯馬はそう言いながら、自然な笑顔を水琴に向ける。
その顔を見た瞬間、不覚にも水琴の胸がキュンと鳴った。
その後も、颯馬はミスしたメンバーを励ましたり、そらの質問に丁寧に答えたりと、仲間思いの一面を見せていた。
水琴は胸の奥で小さく動揺した。
(……ただの道具やと思ってたのに、なんでこんなに目が離れへんねん)
午後になると、スタジオの壁に備え付けられた大きなモニター画面に、プロデューサー
東京の事務所からのビデオ通話だ。
「諸君にはこれから、7人のユニット2組に分かれてもらう。そのユニットで毎日午後のこの時間に課題曲を練習してくれ。振り付けも歌のパート割りもコーラスも、全部自分たちで考えるように。30日間の合宿が終わった後、東京の事務所で課題曲のパフォーマンスをしてもらう。そこまでがこのオーディションの最終選考内容だ。視聴者投票はその後に行う。選ばれるのは7人だが、ユニットに関係なく個人に投票してもらうから、同じユニットのメンバーが全員合格するとは限らない」
その言葉に、皆がざわつく。
「そんな……ユニットごとに選考するんゃなくて個人なのか」
「同じユニットのメンバーでもライバル同士ってこと?」
「せっかく同じチームで仲良くなっても一緒に合格できないの?」
人懐っこいそらが、泣きそうな顔をしている。
戸惑いを隠せないメンバーも多い中、ユニット編成の話し合いが始まった。
七人×二組。水琴はうまく発言を誘導し、颯馬と同じユニットに入れるよう自然に仕向けた。
ユニットが決まった後、水琴は颯馬と少し二人きりになる隙を作った。廊下の隅で、小声で囁く。
「これで俺ら、もっと一緒にいられるやん。……嬉しいわ」
意味深に微笑むと、颯馬がわずかに目を逸らした。その反応が、水琴の胸を妙にざわつかせた。
夕方から夜にかけて、リビングでのフリータイム。
水琴はカメラの前でさらにBL営業を進めた。大きなL字型ソファーで颯馬の肩に寄りかかり、耳元で甘く囁く。
「颯馬くん、今日も頑張ってたなぁ。俺、颯馬くんのこと……本気で応援してるで」
指先を軽く絡める。颯馬の体温が伝わってくる。
水琴は計算通りの笑顔を浮かべながらも、心の奥で小さな波が立つのを感じていた。
夜、1号室に戻った。
ベッドに入る準備をしながら、水琴はカーテンを閉め、静かに息を吐いた。
今日一日の颯馬のまっすぐな眼差しが、頭から離れない。
(炎に近づくため、情報を集めるためだけやと思ってた。なのに……この胸のざわつき、何なんやろ。まさか、俺……)
水琴は自分の胸に手を当て、目を閉じた。
まだ、計画は始まったばかりだ。
しかし、隣のベッドから聞こえる穏やかな寝息が、なんだか温かく感じられた。
その時、枕元のスマホが震えた。
メッセージアプリの通知が1件。イッセイからだ。
『みーくん、今からちょっと出てこれる? 話があるんだけど』
水琴は小さくため息を吐いて、返信を打ち込む。
『話って何?』
その瞬間。
隣のベッドから、颯馬の低い声が聞こえた。
「水琴? ……まだ起きてるのか?」
水琴の指が止まる。
「あー、うん」
「誰と連絡してんの?」
「誰とって……あ、もしかして気になっちゃう感じ?」
水琴がからかうような声で尋ねると、颯馬の声が明らかにうろたえる。
「なっ……何言ってんだ! そんなんじゃねーよ!」
するとカーテンの向こうから遠慮がちな日和の声がする。
「あのさ……悪いんだけど、もう少し静かにしてくれないかな?」
「あ、ごめんごめん!」
颯馬は慌ててすぐに謝った。
「颯馬くん、また明日話そ」
「ああ、うん。わかった。明日な」
「ほな、おやすみ、颯馬くん」
「おう、おやすみ」
颯馬の声を聞いて、水琴はふいに思い出す。
昔、まだ幼かった頃。兄と同じ部屋で暮らしていた時。
毎晩、夜になりベッドに入ってから、兄と「おやすみ」と言い合っていた。
だけど、その後もついついおしゃべりを続けてしまって、なかなか寝ないことも多かった。
大好きだった兄。
兄を騙し、裏切り、絶望させた炎のことは、何があっても絶対に許さない。
(俺の目的が復讐のためやって、もし颯馬くんが知ったら……どんな顔するんやろな)
水琴は、颯馬のベッドと自分のベッドを仕切るカーテンを、じっと見つめ続けた。
——そのすこし前。
東京の
社長室のデスクの前。椅子に腰掛けて脚を組みながら、緋崎炎は無言で配信映像を眺めていた。
大きなモニター画面には、合宿所のソファーで肩を寄せ合う颯馬と水琴が映っている。
炎はワイングラスを揺らしながら、小さく笑った。
「……へえ」
男にしては綺麗に整えられた爪の先が、画面の中の颯馬に触れるみたいにモニターをなぞる。
「颯馬。君、いつからそういう子がタイプになったのかな?」
ニヤリ。形の良い唇の口角が上がる。
「もしかして、俺への当てつけだったりして?」
フフッと、またその口元から笑いが漏れる。
「懲りないねぇ、君も。恋愛なんて、本気になってもろくなことないのに。今度はのめり込みすぎないといいけんだけど、ね」
画面の中で、生配信の映像は流れ続ける。24時間、止まることなく。
最終審査当日。 昨日のゲネプロでは、炎の出演パートを含め、本番と同じ曲順、照明、映像、舞台転換まで通して確認した。 合宿所の鏡張りのスタジオで何度も踊った二曲が、巨大なステージと客席を前にするとまるで別の曲のように感じられたものの、一度その広さを身体に覚え込ませてしまえば、戸惑いは消えていった。 そして今日も、開場前のドームで候補生たちの出演部分を中心とした最終リハーサルを終えている。 誰もいない客席に向かって歌うのは今日で最後だった。「ありがとうございました!」 最後の音が消えると、七人は揃って頭を下げた。 颯馬は顔を上げ、客席を見渡した。 何万人もの観客を収容できる座席が、上へ上へと積み重なるように広がっている。今はまだ空席ばかりだが、開演時刻になれば、ここが炎の復帰を待ち続けていたファンで埋まる。 その人たちの前で歌い、踊る。 しかも自分たちにとっては、それがデビューを懸けた最終審査になる。「颯馬」 龍也が隣まで来た。「最後のサビ、どうだった?」「揃ってた。龍也の入りも昨日よりいい」「だよな」 龍也の顔に笑みが浮かぶ。「俺も今日が一番いいと思った」 カゲトラも珍しく自分から会話に加わった。「二番の移動も問題ない」「俺ら、もう直すとこないんちゃう?」 瞬多が汗を拭きながら言う。「いや、探せばあるんだろうけどさ」 彼方が笑う。「本番直前にいじりすぎる方が怖いよね」 凱も大きく頷いた。「ここまで来たら、自分たちを信じるしかないな」 颯馬も同じ気持ちだった。 合宿所で何百回繰り返したか分からない振りも、歌いながら踊れば呼吸が乱れていたパートも、今では身体が勝手に次の動きを選べるほど馴染んでいる。 水琴を見る。 視線に気づいた水琴が笑った。「いけるで、颯馬くん」
「あと、もう一つ」 社長室を出ようとした颯馬と水琴を、炎が呼び止めた。 二人が振り返ると、炎は閉じたノートパソコンに片手を置いたまま、念を押すようにこちらを見ていた。「この件について誰かに聞かれても、二人からは何も話さないで。相手が記者でもファンでも、他の候補生でも同じ」「候補生にもですか?」「うん。聞かれたら『ノーコメントです』で通して」 すでに映像はSNSで拡散されている。これから何を話しても、その一部分だけを切り取られ、本人たちが意図しない意味を与えられる可能性があった。「恋人なのかって聞かれても?」 水琴が尋ねる。「ノーコメント。映像が本物かどうか聞かれてもノーコメント。誰が撮ったと思うか聞かれても同じ。今は事務所から正式に発表するまで何も言わないで」「……分かりました」「警察に相談する以上、犯人についての憶測も絶対に口にしないこと。いいね?」 二人が頷くと、炎はようやく「戻っていいよ」と告げた。 颯馬は水琴とともに社長室を出た。 ドアが閉まった途端、廊下の静けさが耳についた。 さっきまでスタジオで大音量の曲を聞いていたせいか、空調の低い稼働音までやけに鮮明に聞こえる。 水琴が歩き出さない。「水琴?」 颯馬が振り返る。 俯いた顔は髪に隠れてよく見えなかった。「……あの部屋」「うん」「まさかカメラあるなんて思わなかった」 声が掠れている。「俺、ほんまに……二人だけやと思っとった」 颯馬もそうだった。 二十四時間カメラに囲まれて過ごした島を離れ、ようやく撮影されないホテルに泊まった。誰にも見られないからこそ、あの夜は人目を気にせず水琴に触れた。 それを誰かが見ていた。 自分たちが知らなかっただけで、最初から二人きりではなかった。
沖縄から東京に戻って数日が経った。 炎プロダクション社内のダンススタジオでは、最終審査に向けた調整が続いていた。 島での合宿が終わっても、七人ずつに分かれた二つのユニットで練習する形は変わらない。 ただ、炎のライブ会場で披露する本番が目前まで迫ったことで、レッスンの密度は以前より高くなっていた。 颯馬たちのユニットは、今日はハードヒップホップ調の課題曲を繰り返していた。 スピーカーから響く重低音に合わせて七人の靴底が床を蹴る。 空調が効いているはずなのに、Tシャツは背中に張りつき、前髪から落ちた汗が目尻に染みた。「もう一回、二番の頭からお願いします」 颯馬が声を掛けたところで、スタジオのドアが開いた。 スタッフの一人が顔を出す。「颯馬くん、水琴くん。ちょっといい?」 颯馬は水琴と目を合わせる。「はい、なんですか?」「炎さんが二人を呼んでる。社長室に来てほしいって」 颯馬はタオルで汗を拭った。 この時期に二人揃って呼び出される理由が思いつかない。「分かりました」 練習をほかのメンバーに任せ、二人でスタジオを出た。 廊下を歩きながら、水琴が声を潜める。「なんやろな」「分かんない」 社長室の前まで来ると、颯馬がドアをノックした。「どうぞ」 中から炎の声が返ってくる。「失礼します」 二人で入る。 デスクの向こうに座っていた炎は、いつもの余裕のある表情をしていなかった。
翌朝、颯馬が目を覚ました時には、カーテンの隙間から差し込んだ朝日がホテルの壁を細長く照らしていた。 昨夜は八〇二号室で水琴と過ごしたあと、龍也が戻ってくる前に自分の部屋へに戻っていた。 ほんの数時間前まで二人きりだったことを思い出すと、まだ身体のどこかに水琴の温度が残っているような気がして、颯馬は枕元のスマートフォンを手に取った。 メッセージアプリの通知が1件入っている。『起きた?』 水琴から届いたメッセージは、十分ほど前だった。『今起きた』 送ると、すぐに既読がつく。『おはよ』『おはよう』『朝ごはん一緒に食べよ』『じゃあ十分後に部屋の前で』 たったそれだけのやり取りなのに、口元が緩む。「朝から何ニヤニヤしてんだ?」 窓際のベッドから龍也の眠そうな声が飛んできた。「してないよ」「してたじゃん」「早く起きれば。朝ごはんなくなるぞ」 話を打ち切って洗面所に入ると、背後から「怪しいな」と聞こえてきた。--------- 朝食を済ませ、チェックアウトした一行は、貸切バスで首里城に向かった。 昨日の自由行動とは違い、今日は十四人全員での観光だった。 撮影スタッフも同行し、自撮り棒付きのカメラを渡されたそらが、バスを降りるなりレンズを自分たちに向ける。「沖縄最終日! 今日は首里城に来てまーす!」「朝から元気やなあ」
明かりを落とした部屋に、街の灯だけが淡く差し込んでいた。 交代でシャワーを浴びた後、二人は備え付けのバスタオルを腰に巻いただけの姿で抱きしめ合った。 颯馬の指が水琴の肌の上をゆっくりと辿ると、水琴は小さく身をよじり、喉の奥で甘い吐息を漏らした。「……くすぐったい」「ごめん」「謝らんといて。……気持ちええから」 水琴が身をよじり、目を細めて笑う。 その笑顔を見て、颯馬は顔を寄せキスをした。 舌が絡み、甘い唾液が混じり合う。 水琴の脚が自然と開き、颯馬の腰を挟むようにして引き寄せてきた。 下半身が密着した瞬間、互いの熱と硬さがはっきりと伝わってくる。 水琴が小さく身を震わせる。 颯馬は水琴を仰向けに押し倒し、その上から覆い被さるようにして、ゆっくりと唇を移動させた。 首筋から鎖骨へ、鎖骨から胸へ。 乳首に舌先で触れると、水琴の体が大きく跳ねた。「あっ……んっ」「みー、可愛い」 颯馬は一方の乳首を舌で転がしながら、もう一方を指で優しく摘まんだ。 水琴の背中がベッドに沈み、腰が小さくくねる。甘い吐息が止めどなく溢れてくる。 しばらく胸を弄んだあと、颯馬はさらに下へと唇を滑らせた。 腹の筋肉のラインをなぞり、へそに軽くキスをする。水琴の手が颯馬の髪を緩く掴んだ。「……そこ、くすぐったい」「我慢して」 腰に巻かれたバスタオルを外すと、すでに硬くなったものが露わになる。 颯馬はそれを見つめた後、一度水琴の目を見た。「触るよ」「……うん」 五本の指で優しく包み込む。 熱く、脈打つ感触が手のひらに直接伝わってきた。
ドアが閉まった瞬間、部屋の空気が変わった。 合宿所にいた頃のように、スタッフの足音も、他の候補生の声も聞こえない。ただ、空調の低い駆動音と、遠くを走る車の音だけが窓の外から届いていた。 水琴の部屋は、八〇一号室とほとんど同じ造りだった。二台のベッド、小さなテーブルと椅子、窓から見える那覇の夜景。 違っているのは、ソファーの上に水琴の荷物が広げられていることと、空気の中にわずかに漂う、水琴の香水の匂いだけだった。 水琴が部屋の中央で立ち止まり、少し照れたように笑う。「なんか急に緊張してきた」「俺も」 颯馬も正直に答えた。 水琴が少し固い動きで、ベッドの端に腰を下ろす。 颯馬も向かいのベッドに座ろうとして、途中でやめた。 そのまま水琴の隣に座る。 マットレスがわずかに沈み、肩が触れそうな距離になった。「葉月くん、いつ戻ってくるか分からへんしな」「龍也も」「せやから、今のうちや」 水琴がこちらを見る。目が少し潤んでいるように見えたのは、室内灯の反射のせいだろうか。「颯馬くん」「ん?」「今日、めっちゃ楽しかった」「俺も」「四人の時も楽しかったけど……二人きりの時が、一番やった」 そう言ってから、水琴は少し間を置いた。「正直、夜になったらもっとくっつきたいって、ずっと思ってた」 その言葉に、胸の奥が熱くなる。 颯馬は水琴の手を取った。 昼間、ベンチで小指だけを絡めた時より、はっきりと体温が分かる。 水琴の指が、すぐに応えるように絡みついてきた。「俺も、同じこと考えてた」
土曜日の朝。 颯馬がまだ寝ていると、ベッドの外から騒がしい声が聞こえてきた。「海行こうぜ海ーっ!!」 彼方の声だ。おかげで目が覚めてしまった。「朝から元気だなぁ……」 日和が眠そうに呟く。 颯馬がカーテンを開けると、部屋の中はすでに休日モードになっていた。そらはオレンジ色の髪を揺らしながら水着姿ではしゃいでいるし、彼方はシュノーケルを振り回している。「颯馬くん! 早く準備して!」「お前ら早すぎだろ……」 まだ頭がぼんやりしている。 その時。「おはようさん」 水琴がベッドのカーテンを開けた。 オーバーサイズのタンクトップは襟が大きく開いていて、鎖骨や胸元があらわになっ
昼食を終えた後、メンバーたちは再びスタジオへ集められた。 鏡張りの広い部屋。冷房は効いているのに、どこか空気が張り詰めている。「ここからはユニットごとに分かれて練習してください」 スタッフがそう告げると、自然と二つのグループに分かれていった。 颯馬は、自分とは別ユニットになったそらと目が合う。 そらは少しだけ寂しそうに笑った。「颯馬くん」「ん?」「ユニット離れちゃったね」
颯馬が戻ると、1号室のドアは、少しだけ開いていた。 元々あの有名プロデューサー炎の別荘だというだけあって、部屋は広い。二段ベッドを三台入れてもまだ余裕がある。ベッドの横には人数分の簡易クローゼットも設置されていた。 室内では、すでに三人が荷物を広げていた。 笑い声と、どこか浮ついた空気。合宿初日特有の、独特な高揚感。「ただいま」 颯馬が声をかけると、すぐに反応が返ってきた。「颯馬くん、おかえり!」 オレンジ色の髪を揺らして、そらが駆け寄ってくる。 近い。距離感がやたらと近い。 つぶらな瞳で見上げられて、颯馬は思わず視線を逸らしそうになった。「同じ部屋だね! こ
あの夜のことは、忘れられない。 高層階の窓の向こうに、東京の夜景が広がっていた。ガラスに映る光が、まるで星みたいに揺れていたのを覚えている。 背後から、低く甘い声がした。「颯馬、俺のこと好きなんだろ?」 振り向くより早く、腕を引かれた。 体が触れる距離に引き寄せられて、息がかかるほど近い。「……ねえ、俺を抱いてみない?」 その言葉が、冗談じゃないことくらい、わかっていた。 細い指が、俺の顎に触れる。逃げる理由なんて、どこにもなかった。 憧れて、焦がれて、やっと手に届いた人だったから。 ――あの夜、俺は初めて、炎さんを抱いた。 触れた体温も、息遣いも、全部、焼







